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日本警告

 投稿者: 白い虹  投稿日:2009年 9月 1日(火)09時13分32秒
返信・引用
  為政者が迷う時に三災七難は現実となって起こる
為政者の背後に徘徊する悪魔の手先に注視せよ。

三災には、世界の破壊期に起こる大の三災と、
世界の存続期に起きて人びとを滅ぼす小の三災がある。
① 穀貴、穀物の不作。飢饉のこと。
② 兵革、戦争のこと。
③ 疫病、伝染病・流行病のこと。

七難は、薬師経に説かれているが、戦争・内乱
天災などの七種の災難をいう。
①人衆疾病難、伝染病・流行病により多くの死者がでる難。
②他国侵逼難、他国より侵略される難。
③自界叛逆難、自国に内乱が起きる難。
④星宿変怪難、彗星や流星が現われたり、星の運行に異変が生ずる難。
⑤日月薄蝕難、太陽や月の異常現象の難。
⑥非時風雨難、季節はずれの暴風雨などの天候異変による難。
⑦過時不雨難、雨季に入っても雨が降らない難。

http://journal204.iza.ne.jp/blog/entry/1033551/
 
 

☆☆☆

 投稿者:Clarion  投稿日:2009年 8月 8日(土)13時04分57秒
返信・引用
  日蓮の「立正安国論」は、正法が滅びるとき、三災、七難がおこると予言した。
三災は、大集経にあり、(1)穀物の払底、(2)戦争の勃発、(3)疫病の流行である。

七難は、(1)疫病の発生、(2)他国からの侵略、(3)内乱の発生、(4)星宿の変化、
(5)日食、月食の発生、(6)時ならない風雨、(7)旱魃、である。

http://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html
http://www.araki-labo.jp/shiso65.htm

大方等大集月蔵経 『法滅尽品』 http://emcjp.com/e94b.htm
『法滅尽経』 http://www.daianzi.com/howa/howa0009.htm

『月蔵経』の予言 その1 http://r-tao.com/newmakkyou/text/getuzou1.htm
『月蔵経』の予言 その2 http://r-tao.com/newmakkyou/text/getuzou2.htm

『弥勒下生経』 http://oriharu.net/fuujin/jyogen17.htm
 

相変わらずあの負け犬の学会員は自分の立てたオナり部屋で自慰に耽っていたようだ(笑)

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 8月 9日(土)23時57分15秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/173

まだ↑完全敗北しておることを言い訳しておるようだ(笑)↓

>①はいはいさんとのことは、降魔の剣でも投稿したように、2人きりの掲示板で、答えに面倒になったのか、行き詰まったのか、124の投稿文を削除、その前にも、数十の投稿文を削除、難癖をつけてはアクセス禁止、チョット我々学会員には考えられない所行です。勝手に勝利宣言をしているようですが、2人きりの掲示板でアクセス禁止して勝利宣言、実に傲慢な尊大な姑息な態度です。

既にこの莫迦者の言い訳は論破済みである。
この阿呆が社会的良識的な投稿をしておらず、
且つ、己の邪説を正当化する為に
他宗である日蓮正宗の御歴代上人の文証を用いるて構築した稚拙な駄文は、
創価学会員の恥晒しである。
 

改めて完全勝利宣言書。創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時23分42秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/172

 今般、先日来通告していた投稿ルールを厳守せず、
 度重なる通告・警告に対して対論の意思無しとの判断に加え、
 先般、この優気なる投稿者に対して、
 突き付けていた設問に対してスリカエを存分に図る所業など、
 改善・反省の欠片も見られぬ故、
 今回を持ちまして『優気』なる投稿者をアクセス禁止、及び
 投稿文削除処置を行いました。

 これまで閲覧されてきたロムの皆様、斯様な状況により、
 当方の勝利宣言と致します。


        平成20年7月29日    はいはい



■■優気言
>随分一方的な傲慢な人だと呆れてしまいます。二人だけの掲示板で、アクセス禁止とは、遁走、白旗を掲げて逃げたのと同じではないのか、投稿ルールなるものも、一方的押しつけでは、ルールと言わないでしょう。まして、一切衆生に宣言されたと言える歴代上人の言葉を使用してはならないなんてことは、頭が狂っているとしか言いようがない。
>言論の自由の中で、歴代上人自身が私の言葉を引用してはいけない、などと言っているのであれば話は別ですが、貴方は何の権限があってそこまで言えるのでしょうか。歴代上人の言葉が、よほどつごうが悪いようです。全く話にならない、そんなことでよく、私に、二人きりで対話を呼びかけたものです。
>今や、日顕宗門は、日蓮大聖人の仏法とはかけ離れ、邪宗門となっておりますが、貴方は、日顕宗門ともかけ離れ、より違う、邪宗教となっております。今後は「正依の文証」なしでは、大聖人の仏法を語ることは止めることです。そうしなければ、影響を受けた人たちが、より大きな迷惑を受けるでしょう。私としても、貴方が、アクセス禁止・投稿文削除という、態度に出た以上、これ以上は、対話不可能とし、出来ないので、貴方の負けであると致します。二人の掲示板でそのような態度が良くできますね。

泣き言はその程度か?

「随分一方的」
一方的ではない。
当方にもそれ相応の制限を加えておる。

「傲慢な人」
この学会員は当方が用意した掲示板で対論することを承諾し、
やりとりが始まっている以上、
当板の掲示板の投稿ルールに従うが当然の義務である。
甘ったれたことを言うではない。

「二人だけの掲示板」
掲示板を立てたのはこの学会員があまりにも亀レスであるからである。
誰の為に立てたと思っているのか、この莫迦は。

「アクセス禁止とは」
それも当初から告知済みである。
それでも当板の投稿ルールに従わず、
他宗の御歴代上人に依存した投稿を繰り返したが故である。

「一方的押しつけ」
またこの莫迦は、
一方的に不利な条件を当方が押し付けたと言わんがばかりの
泣きっぷりである。
その投稿ルールは当方にも適用されるものであり、
当方もこの投稿ルールを遵守しなければならぬものであり、
この学会員のみが不利なルールになるようなものは定めておらぬわ。
いい加減にせよ、と莫迦にしておく。

「一切衆生に宣言されたと言える歴代上人の言葉を使用してはならないなんてことは、頭が狂っているとしか言いようがない。」
頭が狂っておるのは、
攻撃相手の他宗の御歴代上人に依存しなければ、
邪義邪説を構築できない、この学会員のことである。
沖浦克治の爪の垢を煎じて呑め、恥晒しが、
と、爆笑しておく。

「何の権限があってそこまで言える」
この学会員が創価学会の教義信条である、
『大聖人直結』『御書根本』を遵守しなければないない立場であり、
当方は当板の管理人として、
この学会員の立場を思い知らせて教えてやったまでである。

「よほどつごうが悪い」
この学会員にしてみれば、
攻撃相手である御歴代上人の文証を用いなければ、
物が言えぬというのを発表してるに過ぎぬ泣き言である。

「全く話にならない」
話にならないのは、
御都合主義的に攻撃相手である他宗の御歴代上人の文証を、
己の邪義邪説の正当化の為に用いなければ物が言えぬ、
という、愚かしいこの愚者のことである。

「私に、二人きりで対話を呼びかけた」
この学会員は当方が当板を立てた当初の理由を隠して、
ただ只管泣いておるだけである。
この学会員がマトモにレスを返していれば、
当方がこの板を立てる理由もなかったのである。
ふざけたことを喚くでないわ。

「日蓮大聖人の仏法とはかけ離れ」
何の権限もない根拠ない理由で本尊を勝手に工作する
そう!創価学会のことである。

「対話不可能とし、出来ないので、貴方の負けであると致します」
この学会員には社会の常識・良識も欠如している。
当方の板で対論を始めた以上、
当方の板の投稿ルールで投稿するのが、
投稿者の務めである。

既に全て破折済みに加え、
当方からの設問要求には悉く返答不能・文証提示不能により、
既にこの学会員の完全敗北は誰の眼にも明白である。

以上、改めて勝利宣言とする。


       はいはい
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時19分35秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/171

■■優気言
>尊信する僧宝とは、日興上人様だけであり、歴代上人は、含まないのである。歴代上人を『伝持の僧宝』として、含む場合は、弟子檀那も含むのである。しかし、それは、久遠元初の三宝とは言わないのである。

その弟子檀那が御本尊書写が出来ぬのである。
勿論この学会員も創価学会もである(笑)
出来るのは偽造改竄を加えたものをコピーして、
3000円で売る、ということぐらいである。

この『御本尊書写』の観点から『僧宝』を拝すれば、
『僧宝』の中に於いて区別・勝劣が存するものの、
僧宝は日寛上人が定め置かれた定義により、
厳密には日興上人以来御歴代上人までが『僧宝』であり、
それ以外の僧俗は狭義には含まないのである。

広義の意味に於いて、やっとこ宗門御僧侶が含まれ、
『信心の血脈』の意味でおまけの意味で、
在家を『含ませて頂いている』というのが本義である。

どんな言い訳しようとも、
在家である己が『御本尊書写』の実践不能である限り、
この学会員の上記の愚論は潰えておる。
と、現実を教えといてやる。


>日蓮正宗の憲法とも言える

だと(笑)
『日蓮正宗宗制宗規』は対外的な意味合いで作られたものである。
よく学会員が某坊氏の稚拙な言い回しを使いたがる(笑)


>宗規第4条(宗綱=教義の根本)第2項に明確に規定している僧宝とは、
>「本宗(日蓮正宗)は、大曼陀羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、
血脈付法の人日興上人を僧宝とする。」
>と明確です。

まだ壊れたレトロなレコード盤の針飛びのように、
喚き言い募るのか(笑)

既に反駁済みである↓


Re: はいはいさんへ  投稿者:はいはい  投稿日:2008年 3月31日(月)14時14分35秒 proxy1150.docomo.ne.jp    返信・引用
================
 日 蓮 正 宗 宗 規

  第一章  宗      綱

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報
身である日蓮大聖人が建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇
の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の
付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次伝
えて現法主に至る。

と定めてあるとおりで、この「第二条」を前提にして書かれたのが「第四条」だ
よ(笑)
================

無駄な努力よのぅ(笑)
これとて、またしても他宗の文献に縋り付かなければ物が言えぬとは(笑)


>歴代法主は日蓮正宗の宗規に定める「久遠元初の僧宝」ではありません。

こういうのを↑莫迦の一つ覚え、というのである、阿呆よ(笑)
この宗制宗規の第四条のどこに「久遠元初の僧宝」との語句があるか(笑)
日寛上人は日興上人について『首』であると仰せである。
これは「久遠元初の僧宝」も「末法下種の僧宝」も「伝持の僧宝」も含めた
『僧宝』という枠組みの中の『僧宝全体』として仰せのことである。

また、日寛上人の当家三衣抄の

※『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘
沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教
主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報
身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻
浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過
ごすべし云々。』

を元にこれらの観点から上記の第二条の条文が謳われ、
それを踏まえられた上で第四条が謳われているのである。

日興上人を『首』とすれば、
当然『頭』は大聖人であり、
『胴体』は御歴代上人となるのが仏法の道理である。


>別の僧宝を立てようとしているので、「本宗」つまり日蓮正宗の人ではありません。
>即ち、日顕宗と呼ばざるを得ない所以がここにあります。

それはこの学会員の勝手な妄想によるウワゴトである(笑)
逆に現在の創価学会を池田狂と呼ぶ所以がここにある、
と、莫迦にしておく。


>日蓮正宗の教義上の正しい僧宝とは、日寛上人の「当流行事抄」に説かれる「久遠元初の三宝」の事です。
>「久遠元初は仏法の根本なり故に根本を信ずと云うなり」(六巻抄224p)
>「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山日興上人なり」(六巻抄226p)

当流行事抄は三宝について御教示された六巻抄の途中のもので、
結論は当家三衣抄の末文である。

※『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘
沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教
主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報
身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻
浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過
ごすべし云々。』

無駄な足掻きはみっともないだけである、
と、嘲笑しておく。


>僧宝と言っても、「南無」する対象、無条件に尊信の対象としての日蓮正宗の正しい僧宝は開山日興上人唯一人です。これ以上明確な定義はありません。正依ではないので参考までとなりますが、
>代々の法主、例えば第56世日応上人も、弁惑観心抄で
>「久遠元初の結要付属云云は即僧宝にして開山日興上人なり乃至若し此の三宝を知らざる者は所謂経に
是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇刧 不聞三宝名 と説かせたまう大悪業の衆生たるべし」
>と、日興上人を僧宝としない者は「大悪業の衆生」だと断言しています。

ほう、当方は未だかつて、
日興上人を否定したことは1度たりともないがのぅ(笑)
とうとう妄想話に突入のようだ、

と、嗤っておく。
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時18分11秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/171

>又、当然戸田第2代会長も、
>「南無妙法蓮華経と唱えられたのが日蓮大聖人様で御本仏、南無妙法蓮華経を伝えた日興上人が僧宝である。」(戸田城聖全集4巻126p)
>と言われており、日蓮正宗の正統な教学では、「日興上人が僧宝」という事は、七百年間にわたって誰一人誤らずに伝えてきた根本の教義です。それを正信会や妙観講が歴代も僧宝だと宗内に言わせる様になってから、宗門全体がおかしくなってしまったのです。

嗤えるではないか。
公文書として残っている日寛上人の文証が依文である。

※『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘
沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教
主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報
身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻
浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過
ごすべし云々。』

何も近代に至って言われ始めたことではない、莫迦よ(笑)


>本尊書写は「末法下種の僧宝」としての使命であり、民衆救済のために御本尊書写を行うからこそ僧宝の意義を持ちます。しかし、無条件に尊信する事が出来ない事は、正依からも明らかです。

誰が無条件に御歴代上人【自体】を尊信せよ、と言うておる(笑)
当方も御法主上人【自体】を尊信してわおらぬわ。
当方が尊信しておるのは、
御歴代上人が代々付属せられた『【無形】の一大事の秘法』のみである。
いずれにしても、日寛上人は御歴代上人も
『【無形】の一大事の秘法』を所持せられてるが故に
「僧宝」と定義された上で上記このように仰せなのである。

これとて、御歴代上人が『僧宝』であることを認識あそばされた、
日寛上人の御教示である。
素直に従え、と嗤っておく。

創価学会の誰が『御本尊書写』できるのか(笑)
この坊やすらできないのである。

と、小莫迦にしておく。


>歴代法主の使命について、日寛上人が観心本尊抄文段で
>「本尊書写豈化他に非ずや」(観心本尊抄文段486p)
>通解:
>法主の本尊書写がどうして化他行でない事があろうか。
>と、御本尊書写は法主に課せられた化他行である事を宣言されています。

当然である。
御法主上人以外、無条件に御本尊書写を許されてる僧俗がどこにおる(笑)
まして、日寛上人が御教示のように、
『御本尊書写』は化他行である。
御歴代上人と雖も自行化他をなさっておられる。
何か不服でもあるのか?(笑)


>民衆救済の為の本尊下付を停止し、

当然である。
大聖人違背の大謗法団体に誰が好き好んで下附などしようか。
そんな大謗法団体に下附すればそれこそ、
『謗法与同』である。


>和合僧を切った法主など僧宝とは呼びません。

それは破門された負け組みのこの学会員の勝手である。
自ら破門される道を選択して成仏の道を己で塞いだ輩が
蚊帳の外で何を喚こうが痛痒も感じぬわ(笑)


>日寛上人の「当家三衣抄」には三宝について説かれた箇所があります。日蓮正宗は、何とか相承さえ受ければ僧宝だとしたいので、この文にばかりこだわりますが、この文は「久遠元初の僧宝」ではなく、「末法下種の僧宝」についての下根の為の引導についての箇所です。
>まず、数珠の由来についての答えとして、
>「数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり」(251p)
>通解:
>数珠とは機根の劣る者を阿弥陀が臨終の時に迎えに来て極楽に導くようにして、修行に導き与える道具である。
>として、下根のための誘引の道具としての数珠を説明した中で、爾前経である木患子経を引用し、その中の「南無仏、南無法、南無僧」についての解説をした箇所で述べたものです。
>ここで「引接(いんじょう)」という念仏の用語を使っている事からも、日寛上人の教えの中では深い意義を持たせていない事が理解できます。

この学会員の勝手な泣き言である↑
何も「引接」が念仏特有の用語ではない(笑)
三宝に関係ないものを日寛上人が当宗の三衣(袈裟・衣・数珠)として、
御教示されるわけが無いのがこの学会員には理解できぬのである。
日寛上人は三衣にも三宝に纏わる重要な意義があるから御教示されているのである。

異流儀の在家の物の見方とは所詮この程度である。
と、嗤っておく。


>「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心・文底秘沈の大法・本地難思・境智冥合・久遠元初の自受用報身・無作三身・本因妙の教主・末法下種の主師親・大慈大悲・南無日蓮大聖人師。南無本門寿量の肝心・文底秘沈の大法・本地難思・境智冥合・久遠元初の自受用報身の当体・事の一念三千・無作本有・南無本門戒壇の大本尊。南無本門弘通の大導師・末法万年の総貫主・開山・付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主・伝法・日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。」
> この文を分かり易く整理すると、
>『 南無本門寿量品の肝心・・・南無日蓮大聖人師。
  南無本門寿量品の肝心・・・南無本門戒壇の大本尊。
  南無本門弘通の大導師・・・南無日興上人師、
  南無一閻浮提座主       伝法日目上人師、
                 嫡々付法歴代の諸師。』
>となり、明らかに「本門弘通の大導師」である日興上人と、一閻浮提の座主である日目上人と、歴代の諸師との間に差別を設けられています。
>具体的には、大聖人の教えを正しく伝えた「久遠元初の僧宝」である日興上人は、その位である「本門弘通の大導師・・」にも「人」にも二重に「南無」が冠せられ、日目上人については「一閻浮提座主」という位にのみ「南無」が冠せられています。
>これは、日目上人が「久遠元初の僧宝」ではないものの、生涯国家諌暁を貫かれたその行体を讃え、その位である「一閻浮提の座主」に「南無」を冠したものです。
>「一閻浮提の座主」とは日目上人の事を指す宗門用語である事からも、他の歴代法主とは別格である事を示されています。
>それもそのはずで、日蓮正宗は日目上人までは国家諌暁を行っていたものの、第四代日道上人以降は内部抗争等によって広宣流布どころか疲弊の一途を辿ったというのが歴史上の真実となっています。
>だからこそ「歴代諸師」には一切「南無」がつけられておらず、信仰の対象とはなっていないのです。
>歴代諸師は、宗規に定める「久遠元初の僧宝」ではなく、「末法下種の僧宝の一分」と呼ぶ、僧俗も平等に含めた、妙法を後世に正しく伝える働きをする「べき」人でしかないからです。

いくら差別を泣き喚いても、
この文証の直後に

☆『此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過
  ごすべし云々。』

との文言がある限り、
この学会員の手前勝手な邪義は悉く日寛上人に粉砕されているのである。
恥を知れ、と、大爆笑しておく。


>碩学堀日亨上人は、このことを正確に理解できる表現として「当家三衣抄釈文」
(富士宗学要集第10巻303p)において、
>「南無日興上人師、南無一閻浮提座主・伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師、如此三宝、一心念之」
と、
>「南無日興上人師、南無一閻浮提の座主・伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師は、此の如き三宝を一心に之を念じて」
>と読むように正されています。
>つまり代々の法主は僧宝でも一閻浮提の座主でもなく、「日目上人の座席を広宣流布の日までお守りする」という意味の、本来の日連正宗の教義に正そうとされています。

今度は当時御隠尊上人としておられ、
日恭上人と断腸の思いで形だけ、
神札を受け取ることを一緒に御決断された、
この学会員にしてみれば『謗法の法主』であろう、
日亨上人に依存して物を言うのか(笑)

その解釈はあくまで日亨上人の独断での解釈であり、
その日亨上人も日寛上人が

※『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘
沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教
主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報
身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻
浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過
ごすべし云々。』

と、御教示あそばされておられると認識された上で、
上記のように書き下しされたのである。
よって、優先されるのは日寛上人のこの
当家三衣抄の末文であって、
厳密の上での解釈では、日亨上人の解釈は用いられないものである。

無駄なことは速やかに諦めたらどうだ?(笑)
と、大爆笑しておく。
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時17分1秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/170

☆☆はいはいさん言
この学会員はまだ性懲りもなく、シブトク
他宗である御歴代上人に依存して文証の引用を図る心算か。

当方は、貴殿が己の主義主張をするのに
なぜ他宗である御歴代上人の文証に依存するのか、
を言うておるのである。
これは言論弾圧でも逃げの言葉なんでもない。
当然の指摘であり、要求であり、
そもそもこの学会員が法華講の当方に対して、
最低限弁えるべきものである。

まして当方は↓

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
当方もなんの関係も無い学会の文献は使用しない。
という同条件にて破折レスを投稿する。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

と宣言しているのである。

この学会員こそ、攻撃している他宗の御歴代上人に依存し、
己の主義主張の愚論を展開するこの愚かな矛盾にこそ、
脳乱の極みである。

逆に、攻撃している相手の宗派の御歴代上人に依存しなければ、
物が言えない論調を強行することこそ、
逃げの論法である。

よほど、過去に対論した沖浦親子のほうが
学会の教義主張に則っており潔い。
この莫迦者には1度、長野・沖浦邸での質問会での、
沖浦克治の爪の垢を煎じて飲み姿勢言動を見習え、
学会員の恥晒しが。と嗤っておく。


> 又、貴方は、そのようなことを言える権利があるのでしょうか。書き始の時、貴方は、三宝論で、「六巻抄御講義途中の当流行事抄を持ち出すかね?」と、予言と言いましょうか、「御歴代上人の文証を引用した箇所は全て削除する」と正反対のことを言っていましたが、不利と思えば、平気でこのような、禁止と言うのですか、貴方の真摯な態度を求めます。

笑わせるではないか↑
当方が述べた↓

「六巻抄御講義途中の当流行事抄を持ち出すかね?」

とは、この学会員が

「どうせ、御歴代上人に依存しなければ物が言えぬ阿呆だろう(笑)」

との意を込めて貴殿を嘲笑したものである。
この学会員はよほどのマヌケ、と嗤っておく。


> もし削除をすれば、対話を拒否し、遁走したとのことで、勝利宣言致します。
> そのようなことも有ろうかと、私の独自の掲示板を立ち上げておりますので、何が削除されたのか明確になるようになっております。

それは当方も同様である。
勝手にすれば良かろう。

貴殿が己専用の掲示板を立てる前に既に
当方はやりとりの経緯が分かるように、
やりとりを投稿順に貼り付けた掲示板と、
貴殿の投稿を投稿順に纏めた掲示板と、
当方の投稿を投稿順に纏めた掲示板とに
それぞれ分けて板を立ち上げているのである。

貴殿が如何に我田引水の御託を捏ねようと、
そのような御託をいつでも粉砕できるように
証拠の掲示板を立ち上げてある。

性懲りもなく御託を並べた分、
恥を掻く結果になると知れ。と嗤っておく。

■■優気言
>大聖人の仏法は、絶待妙の立場から言えば、全ての論議・法論・法義等々は、生かされるのである、まして、歴代上人の中には、すばらしい尊敬申し上げるべき人はおられるのである。その人たちの文証を使わせて頂いて何が悪いというのか、良いものは良い。悪いものは悪い。大聖人の仏法から観れば、解ってくるのである。
>貴方は、「御本仏の内証」と言って、「自分の内証」で、「計我」するので、ご尊敬申し上げる、正師の歴代上人の言葉さえ合致しなくなるのである。

何が「絶対妙の立場から言えば」だ(笑)
いくら泣き言を言い募ろうとも、
この学会員はどうしても、
口汚く罵る相手の他宗である日蓮正宗の御歴代上人の文証を用いなければ、
物が言えない、というのを発表してるに過ぎぬものである。


もう1度この莫迦に言うてやる。

この学会員こそ、攻撃している他宗の御歴代上人に依存し、
己の主義主張の愚論を展開するこの愚かな矛盾にこそ、
脳乱の極みである。

逆に、攻撃している相手の宗派の御歴代上人に依存しなければ、
物が言えない論調を強行することこそ、
逃げの論法である。

よほど、過去に対論した沖浦親子のほうが
学会の教義主張に則っており潔い。
この莫迦者には1度、長野・沖浦邸での質問会での、
沖浦克治の爪の垢を煎じて飲み姿勢言動を見習え、
学会員の恥晒しが。と嗤っておく。
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時16分13秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/169

☆☆はいはいさん言
また稚拙な御託を並べておる↑
当方が
「大聖人と同等なのであるが、如何。」
と問うておるのは、この学会員の主張をどう読んでも、
「大聖人と同等論」を主張してるようにしか読めないからである。

そしてまたしても如何に在家までもが『僧宝』に含まれ、
同等を否定しながらも、『大聖人と同等』かをトクトクと喚いておる。

当方はこの学会員が「在家も僧」と喚いたことから、
客観的にみれば『大聖人も僧』と述べたまでである。

つまり、当方は厳密な意義の上から、
『在家は大聖人と同等か否か』
を問うておるのであり、
この学会員のレトリック論法はなんら返答になっておらん。

この設問での答えは、

①在家は大聖人と同等
②在家は大聖人とは同等ではない

の2つだけである。
つまり、この学会員はまたしても返答不能なのである。

従って、この学会員は返答不能ということで、
この設問もこの学会員の完全敗北である。

そもそも、三宝を論じておるのであれば、
己等在家までも僧宝に含めて論じてる時点でオカシイのである。
何をか況やである。

■■優気言
>大聖人は、末法の御本仏であり、人本尊であり、根源の師匠であります。
>それを、在家と同等であるか、ないかなどの設問自体おかしいのである。

オカシイも何もない(笑)
当方が上記で述べているとおり、

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
この学会員の主張をどう読んでも、
「大聖人と同等論」を主張してるようにしか読めないからである。
当方はこの学会員が「在家も僧」と喚いたことから、
客観的にみれば『大聖人も僧』と述べたまでである。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

この学会員の主張に従って設けた設問である。
オカシイのは、如何に在家が大聖人と同等であるかを
主張してるところにある。

この設問がオカシイと思うのであれば、
この学会員の主張によるものである。
恥を知れ、と、呆れておく。


>我々は、弟子であり、大聖人の仰せのままに修行する者である。

その大聖人の仰せのままに修行する弟子が、
「違法性を有する」と司法で認定うけることも、
大聖人仰せのままなのかえ?(笑)

なんとか言うてみよ、と、嘲笑しておく。


>師匠と弟子は同等。師匠と弟子は同等ではない。の2つだけである。

その通りだ(笑)
で、どっちなのかね?
この極簡単な設問に対して、
言い訳を言い募って明確な返答が出来ずにいるのが、
この学会員である。


>こんな設問自体、頭が狂っているとしか言いようがありません。自分でこんな質問をして返答不能とするのはおかしいと思わないのでしょうか。
>三宝論を論じているのに、「客観的にみれば『大聖人も僧』と述べたまでである。」とは、どんな言い訳をしてもおかしいのである。つじつまが合わないのである。

当方はこの学会員の邪義己義の狂った主張に対して、
即して設けた設問である。

そう思うのであれば、
己の邪義己義の狂った主張を恨め。
と、莫迦にしておく。


>師匠は、弟子を自分と同じような境涯にしようと促されているのであり、その期待に応え、、師匠と同じ境涯めざし成長していると言えるでしょう。
>大聖人は、大聖人に連なる私たちもまた、無作三身如来であることが説かれている。
>■「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。」と仰せです。

まだ言うか、この阿呆は(笑)
大聖人は何も『即』の意味で仰せられてはいないのである。
それもこれも仏祖三宝尊を正しく拝することが必須である。
『仏祖三宝尊=一大事の秘法』を根底から否定しておる者が、
何をか況やである、と、嗤っておく。
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時14分48秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/168

☆☆はいはいさん言
トコトン阿呆である↑
設問の趣旨のスリカエを図るのはいい加減にせよ。

頑迷に言い募ってるおるのはこの学会員のほうである。
戒壇の大御本尊は確かに『一大事の秘法』である。
が、この一大事の秘法を有形として顕された。
つまり、有形である戒壇の大御本尊は外相では楠木の板であり、
漆であり、彫られた相貌を有した御姿であり、
それもこれも戒壇の大御本尊には、
内証に『一大事の秘法』を以って内在してる故である。

つまり、大御本尊は末法に有形にて御出現にならる前に、
既に無形にて久遠元初から存していたのである。
この無形の内証であられるところの『一大事の秘法』こそ
『戒壇の大御本尊』と拝させて戴くのが真の拝し方であり、
御開山上人から現代の御当代上人に至るまで、
この『【無形】の御本仏の内証』である『一大事の秘法』を以って、
分身散体の法理から御本尊書写をあそばされてこられておられるのである。

まさに仏法は道理である。
そんな仏法の道理を根底から真っ向から否定するこの学会員こそ、
邪義脳乱の極みである。


■■優気言
>聖人とは、自ら悟る人を言い、久遠元初の法・南無妙法蓮華経を悟れれ、末法の一切衆生を救うために、末法の御本仏として一大秘法を大御本尊として御図顕されたが故に大聖人と申し上げるのである。

嗤えるではないか↑
よく上記のような稚拙な愚論を吐けるものと寒心する(笑)

先ずこの学会員が誤って思い込んでおるのは、
「大聖人が御自ら悟った」と思い込んでおる点である。
確かに生身の凡夫としての大聖人は形上、
自解仏乗なされた形ではある。

が、大聖人は前身の上行菩薩の時に、
釈尊から御本仏そのものであられる『一大事の秘法』たる御内証を付属され、
それを末法の生身の外用の御身として、
御自身の凡夫の内証、即ち、胸中に秘し隠し持たれて、
末法に御出現あそばされたのである。
故に生身の凡夫としての外用の大聖人御自身は、
既に胸中に秘し隠し持たれあそばされていた『一大事の秘法』によって、
釈尊が説いた仏説の種々の教経の中から、
法華経こそが釈尊一代の極説であることを突き止められ、
発迹顕本前に既に確信を持たれあそばされていたのである。

そして、発迹顕本に於いて、
御自身の胸中に秘し隠し持たれあそばされておられた『一大事の秘法』を
御自身の凡夫としての内証(胸中)に顕現あそばされ、
御本仏の『人本尊』と御成りあそばされたのである。
ただ自解仏乗したのとは訳が違うのである。

更に大聖人と釈迦・釈尊との違いは目に見える形、
即ち、久遠元初から法界に存する【無形】の『一大事の秘法』を、
衆生成仏の為に【有形】の『一大事の秘法』を
御出現させることが出来たか否かである。

そこに違いがあるのであり、
釈尊(釈迦)を『教主』と言い、
大聖人に対し奉り『法主』と申し上げるのはこの事によるのである。

そして日興上人以来御歴代上人を『御【法主】上人』と申し上げるのは、
真の意味で『一大事の秘法』をもって、
御本尊を顕すことが出来る故に『御【法主】上人』と申し上げるのである。

故に大聖人は初代法主であらせられ、
日興上人以来御歴代上人は『一大事の秘法』を所持され、
『一大事の秘法』を以って分身散体の法理で
『御本尊書写』をせられるが故に『御法主上人』と申し上げるのである。

この仏法の道理も解すことが出来ぬから狂うのである。


>後は、賢人の立場で、大聖人の仏法を実践し、広宣流布に励むのである。
>歴代上人と言っても、民衆救済の広宣流布の化他行を実践する、役目としての、御本尊書写と言えるのである。

嗤えるではないか↑
この学会員からすれば、
大聖人も末法に御本尊御図顕あそばされるが為に、
その「役目」で御出現したと言いたいようだ(笑)
どこまでこの学会員は狂ってエライのか(笑)

そもそも、日興上人以来御歴代上人、御当代上人に至るまで、
『賢人』の立場であられ、大聖人の仏法を実践され、
広宣流布に賢明に励まれておられる。

この阿呆の愚論の根拠は
「いくら法主であろうと折伏しなければならない」
という凝り固まった狂った思考があるのである。

まず日寛上人が明確に御指南のように、
時の御法主上人の化他行とは、
それは『御本尊書写』を意味するのである。

では、御歴代上人の中に折伏をされた方がおられるのか、と言えば、
確かにおられる。
それはその時々の御法主上人の御判断で良いのである。

が、時の御法主上人の御立場は、
『発迹顕本後の大聖人』の御名代であらせられる。
故に時の御法主上人の化儀教化に関しては、
『発迹顕本後の大聖人』の御化導・御振る舞いに準じる形で良いのである。

では、『発迹顕本後の大聖人』の御化導・御振る舞いを拝すれば、
第一に御書にも拝せられるように、
僧俗の教化育成を軸にされた
大慈大悲の御教導をお認めあそばされた数々の御手紙や、
内弟子に対しては直接的な御指南・御手紙等での教化。
信徒に対しては御目通りをもっての直接の信徒育成である。

第二に『一大事の秘法』を分身散体の法理を以って
一期一縁の御本尊御図顕を顕され続けられたのである。

が『発迹顕本後の大聖人』御自ら折伏に
お出ましになられたなどの文証は存在しない。
尤も、御手紙の執筆と合間合間に行われた一期一縁の御本尊御図顕等、
折伏に『発迹顕本後の大聖人』御自らお出ましになられたなど皆無である。

如何に『発迹顕本後の大聖人』が
門下僧俗に対する教化教導の御化導の化儀・御振る舞いであらせられたか。
大聖人の史実を常識的に知る者には、
この学会員の幼稚で稚拙な愚見の根拠など、
鼻で嗤えるものである。

この学会員からすれば、
『発迹顕本後の大聖人』が折伏を殆ど行じて無かった点を論って、
「大聖人は『発迹顕本後の大聖人』が御自身は、
 折伏をしていないのであるから、
 広宣流布に励んでいない輩だ!」
と声を台にして喚き、大聖人を指弾糾弾しなければならない。

できるのかえ?この学会員に(笑)
と、嘲笑しておく。

まして、この莫迦が殊更「久遠元初の僧宝」と持ち上げる
日興上人でさえ、先師『発迹顕本後の大聖人』の化儀・御振る舞いに
準じておられたのが史実である。

この学会員は「久遠元初の僧宝」と持ち上げる日興上人対しても、
「日興上人は大聖人が仰せの折伏をしていないのであるから、
 広宣流布に励んでいない輩だ!」
と声を台にして喚き、日興上人を指弾糾弾しなければならない。

できるのかえ?この学会員に(笑)
と、嘲笑しておく。

更にこのように日興上人を含め御歴代上人が、
『発迹顕本後の大聖人』の化儀・御振る舞いに準じておられるものを、
「どこにそのような振る舞いをせよ、と大聖人が仰せになったのか!
 その文証を挙げてみろ!」
と言い出す前に、
「時の御法主上人が
 『発迹顕本後の大聖人』の化儀・御振る舞いに準じる必要はない」
と明確に仰せの宗開両祖の文証を挙げてみよ(笑)

時の御法主上人の化儀・教導の御振る舞いに関しては、
全て須らく、それこそ「久遠元初の僧宝」である、
日興上人の化儀・教導の御振る舞いに従われておられる。
これが現実であり日蓮正宗御歴代上人の史実なのである。阿呆よ(笑)

と大嗤いしておく。


>>「の『【無形】の御本仏の内証』である『一大事の秘法』を以って、分身散体の法理から御本尊書写をあそばされてこられておられる」
>とした場合、謗法法主・焼死法主などが、いて、つじつまが合わないのである、まさに、仏法は道理では、ないのである。

「謗法法主」とは何方のことだ(笑)
「焼死法主」とは日恭上人のことか?
日恭上人の場合はお逃げになろうと思えば余裕で避難出来たものを、
袈裟法衣に着替えられ御自身で
大奥に残られることを御決断なされたのである。

この学会員は日恭上人が、大聖人が仰せの「横死」したと言いたいらしい。
大聖人は「横死」について、

☆『華厳経に云はく「恩を知らざる者は多く横死に遭ふ」等云云。』
☆『上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有りと見えぬ。孝養の者は又横死有るべからず。』
☆『聖人は横死せずと申す。』

この御文を根拠に日恭上人の覚悟の死を「焼死」と言いたいようだが、
大聖人は「横死」について『不知恩の者』と明確に仰せである。

この莫迦の根拠は一般的な「横死」の意味にある

○「殺害されたり、災禍などのため、天命を全うしないで死ぬこと。不慮の死。非業の死。」

というのを大聖人が仰せの「横死」と混同して、
口汚く罵っておるのである。


>御本尊書写どころか、下付停止なのですから、大謗法です。

大聖人に弓引く違背の大謗法の者に
下附停止処置を断行するのは当然のことである、阿呆よ(笑)
 

創価学会員 優気なる投稿者の負け犬の遠吼えを扱き下ろし嗤う。

 投稿者:はいはい  投稿日:2008年 7月31日(木)20時13分47秒
返信・引用
  http://8330.teacup.com/yuuiseiiti1270/bbs/168

●過去の掲載文
> 文底秘沈抄
> ■「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、去れば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なり、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば争でか霊山浄土に劣るべき云云。
> 今此の文に准ずるに延山は正しく是れ法身の四処なり、豈最勝の地に非ずや。
> 答う、教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。」
> 「一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり」と明快に大御本尊である、と言われているのである。
> 日寛上人の言葉に従わなければならない。

☆☆はいはいさん言
ただの表面ツラの底浅い捉え方を披露して悦に入ってるだけのことである。
日寛上人の仰せになられた御真意を拝せずして、何が
「日寛上人の言葉に従わなければならない。」
か。
全くもって話しにならん。

この莫迦は
『久遠元初から無始無終で存在している【無形】の一大事の秘法』
と、
『末法に入って大聖人が顕された【有形】の一大事の秘法』
のどちらが先で、どちらが根本なのか、
全く理解できずにただ単に
「日寛上人がこう言われている」
などと稚拙な愚の骨頂を披露しておる。

どの道、当方が設問で要求しておるところの

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
☆大聖人が前身の上行菩薩として釈尊から付属を受けた『一大事の秘法』は大聖人
 止まりで、後代に付属相承されない、出来ないという明確な文証があるならば出
 してみよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

との文証提示要求には全く以って提示不能であり、
苦し紛れに出してきた日寛上人の文証は、
的外れも甚だしいものである。

よって、この設問もこの学会員の完全敗北である。

■■優気言
貴方は、法華経寿量品自我偈の意味を噛みしめるべきである。そうすれば、こんな、人をバカにしたような文章が書けるはずは無いと言っておきましょう。
余りにもバカバカしくて、大聖人の仏法を学ぶ者なのかと呆れてしまう。
後代に付嘱相承されてきたが故に、大聖人の仏法をそのまま実践する、仏意仏勅の和合僧団である、創価学会があり、大聖人の仏法を広宣流布しているのである。

ほう、大聖人の仏法をそのまま実践してきた狂団自体が司法から、
「違法性を有する」
と認定を受けてしまう所業をするのか(笑)
どこまで狂ってる様を当方やロム専に披露するのか(笑)

泣き喚きの負け犬の遠吼えなどしとらんで、

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
☆大聖人が前身の上行菩薩として釈尊から付属を受けた『一大事の秘法』は大聖人
 止まりで、後代に付属相承されない、出来ないという明確な文証があるならば出
 してみよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

この設問要求に真っ向から答えたらどうなんだ(笑)↑

と、嗤い飛ばしておく。


●過去の掲載文
> ▼はいはいさん言
> > ☆僧宝の資格は大聖人からの『御本仏の内証=一大事の秘法=本尊の体』を付属さ
> > れてるか否かである。
> >
> ★優気言
> ここにおいても、『御本仏の内証=一大事の秘法=本尊の体』が出てきましたね。
> 僧宝において、資格との言葉は、なじまない。尊信の対象としての僧宝は、久遠元初の僧宝である日興上人ただ一人であるので、資格云云では、ありません。

☆☆はいはいさん言
笑わせてくるではないか↑
何度教えてやってもこの莫迦は解すことが出来ずに喚いておる。
日寛上人が仰せになる『尊信の対象』とは、
あくまで「【無形】の『一大事の秘法』」であり、
御本仏の内証に他ならないのである。

その『御本仏の内証=一大事の秘法=本尊の体』を有しておられるからこそ、
日寛上人はいざ、と言うときに必ず大聖人の御傍におられて常随給仕なされ、
その因縁の深さと、
大聖人御入滅後は大聖人から付属あそばされた「【無形】の一大事の秘法」を
護持あそばされ正法をお護り通されて弘宣せられた
日興上人の功績を讃えられて『久遠元初の僧宝』と称されておられるのである。

その「【無形】の一大事の秘法」の付属をなくして、
行体のみで日興上人が『久遠元初の僧宝』としての資格も
所以もないのである。

そもそも大聖人に於かせられても、
大聖人が御本仏である所以は、
大聖人が前身の上行菩薩の御時に
釈尊より神力口伝結要付属を承られ、
その『一大事の秘法』を凡夫として内証である胸中に秘し隠し持たれ、
それを御自身の内証に秘し隠し持たれていた『一大事の秘法』を
発迹顕本に於いて凡夫としての内証に顕現あそばされ、
『人本尊』と御成りあそばされたが故であり、
大聖人御在世当時は大聖人が御自身に於いて、
仏宝・法宝・僧宝を御一身に戴されていたのである。

三【宝】それぞれの『宝』が「【無形】の『一大事の秘法』」であることは、
この仏法の道理からして当然の義である。
これを解すことが出来ぬから狂ったことを平気で喚き、
殊更『一大事の秘法=御本仏の内証』を否定するのである。

■■優気言
>>「日寛上人が仰せになる『尊信の対象』とは、あくまで「【無形】の『一大事の秘法』」であり、御本仏の内証に他ならないのである。」
>それでは、何遍も言っているように、「正依の文証」を出して頂きたい。自分の「計我」でもって、幾ら説得しても、自己中心の、ご自分の内証を感じるだけである。御本仏の内証と言いながら、実は自分の内証でしかない、と言えるでしょう。
>大聖人は、貴方の言うように、「【無形】の一大事の秘法」として、法門を展開されてはいない。何遍も言っているように、「一大事の秘法」とは、御本尊であり、信心の二字で自行化他の題目を上げることを繰り返し仰せなのである。故に、御本尊を中心にものごとを対処していかなければならないのである。ただ言えるのは、「【無形】の一大事の秘法」は、「南無妙法蓮華経」として、言われているところは至る所にある。故に、「南無妙法蓮華経」として言えば、「自己中心の、自分の内証」としての、「御本仏の内証」の響きは弱まるので、せめてそうすべきである。と言っておきたい。

どうもこの莫迦は物事の道理・仏法の道理が解らんらしい(笑)

何度でも教えてやるが、
『一大事の秘法』は久遠元初から
無始無終の法として【無形】を以って法界に存していたのである。
何も末法に於いて突然顕れた法ではない。
この『一大事の秘法』を「釈迦⇒釈尊⇒上行菩薩⇒大聖人」へと、
血脈の次第を以って付属せられてきたのである。

そして末法に於いて大聖人が、
釈尊から前身の上行菩薩の時に神力口伝結要付属によって付属された
『一大事の秘法』をまさに末法という時を得て、
末法の『人本尊』、『末法初代法主』として、
【有形】の戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのである。
それは大聖人が御本尊について、

☆『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん、
  竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、
  末法二百余年の比、
  はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。
  是全く日蓮が自作にあらず、
  多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎたる本尊なり。』

と、大聖人が個人の勝手な思いつきや閃きで
御本尊の相貌を決せられたのではない。
であるから、

☆『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ』

と御教示になられるのである。
この御文での『たましひ』とは何ぞや?
はいはい答えて云わく
『法魂=一大事の秘法=御本仏の内証=御本仏の当体=本尊の体』
である。
この『たましひ』を『一大事の秘法』と釈する以外に他に釈しようがない。

こんなことは日蓮大聖人直系の日蓮正宗に於いては、
至極常識的な基本中の基本である。

この莫迦には「鶏が先か卵が先か」という論法で、
「【無形】の一大事の秘法」が先(根本)か
「【有形】の戒壇の大御本尊」が先か、
から教えてやらねばならぬのか(笑)

と、爆笑しておく。



●過去の掲載文
> 久遠元初の僧宝と末法下種の僧宝と、 末法下種三宝をお守りするという意味で僧宝とされる歴代上人とのたて分けをはっきりとしなければならない。混同してはなりません。

☆☆はいはいさん言
混同などしておらぬわ。
この学会員は三宝それぞれの『宝』の意味を知らぬから、
久遠元初の僧宝と末法下種の三宝と伝持の僧宝を殊更差別するのである。

まして、久遠元初の僧宝と末法下種の三宝と伝持の僧宝の
それぞれがなされてきた主軸は一貫して
『一大事の秘法』の伝持弘宣であり、
全くこの一点に関しては同じであり変わるところが何もない。

強いて言えば、外用の一端としてのそれぞれの御身の法ろうと
功績の勝劣のみである。
そんなことも解らんから狂うのである。

■優気言
>狂っているのはどちらかな、久遠元初の三宝と末法下種の三宝と区別するのは、日蓮大聖人の仏法では基本である。その基本さえ踏まえないのは、大聖人の仏法とは言えないのである、勝手な自分自身の内証を基本とした仏法なのである。

狂っておるのはこの学会員である。
「久遠元初の僧宝」と「末法下種の僧宝」と「伝持の僧宝」と
『僧宝』の中に於いて区別・勝劣があるのは当然である。
そんなことはこの莫迦に教えられまでもないことである。

が、当方が言うておるのは『僧』の部分で区別・差別があるのであって、
『宝=一大事の秘法』に差別・区別・勝劣が無い、
と言うておるのである、マヌケよ(笑)
もう1度当方の破折文を読み返せ、阿呆よ(笑)

と、小莫迦にして嗤っておく。
 

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