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B16の著作から

 投稿者:グラ(愛犬の名称)  投稿日:2014年 7月31日(木)10時42分2秒
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  竹下先生

ベネディクト16世ヨゼフ・ラツィンガーの「ナザレのイエス」を読みました。
「チェルノブイリ」が引用されており、それは福島と重なります。
福島原発事故は人災という評価を政府事故調もしております。
まるで、日本にはキリストの教会がないとB16から指摘されたようで、ショックですが、受け止めなくてはならないようです。
ヨーロッパのキリスト「教界」は、日本の教会(新旧ともですが)に対して厳しい視線なのでしょうか。

参考までに、B16の本からその箇所を一部引用させていただきます。
「ナザレのイエス」 (春秋社 2008年)  P52  里野泰昭訳
誘惑の場面の短い記述(マルコ1:13)において、マルコ福音書はアダムとの対比を強調します。それは、人間の苦難のドラマを苦しみ抜くことにあります。イエスは『野獣とともにおられ、天使が仕えていた』。荒野は楽園の対極ですが、和解と救いの地となります。創造に対する反抗と死の力であり、人間存在に対する脅威の具体的な姿である野獣は、楽園におけるように人間の友となります。イザヤがメシアの時として告知したあの平和の状態が現実となるのです。『狼は子羊とともに宿り、豹は子山羊とともに伏す』(イザヤ11:6)。罪が超克されたところ、人間の神との調和が実現されたところでは、創造は和解の状態に戻り、引き裂かれた世界は再び平和の場所となるのです。パウロは被造物のうめきについて語り、『被造物は、神の子たちの現われるのを切に待ち望んでいます』(ローマ8:19)と言っています。西ヨーロッパのベネディクト会修道院の周りに生まれた平和な村落は創造のオアシスであり、神の子たちによる和解の世界を先取りするものの一つの例といえるのではないでしょうか。それとは逆に、チェルノブイリは神の不在の暗闇に閉じ込められた創造の衝撃的な表現ということができましょう。(下線・強調文字は原文にはありません。)


「ナザレのイエス」は2008年に出版されましたから、福島原発事故を知りません。
創造のオアシスに対比されるチェルノブイリは、政治体制をも含めた皮肉も含んでいるかもしれませんが、チェルノブイリは福島のことです。
そこには、キリスト者もキリストにある教会もないと言われているのも同然のような気がします。

私たち、日本のクリスチャンはそのような時代と場所で生きていることになります。

「ナザレのイエス」三巻本は、B16がドイツ人でもあるせいか、プロテスタントの私にとっても良書でありました。B16がチェルノブイリに触れていることを、竹下先生に、ご紹介しておこうと思ったことと、信仰の世界から日本を見て、暗澹としている一人の信徒がいることをお伝えしただけです。
 
 
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