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カントについて

 投稿者:哲学に興味があります  投稿日:2018年 9月13日(木)12時02分22秒
  私は編入を考えています。編入を考えるにあたって、生きるとは何かについて大学の講義で考えました。
そのことを契機に生きることについて考えてきました。
生きている時間は無限ではない。死は誰しも避けることができない。限りある命ならただ生きるのではなく、善く生きたいと私は考えました。このことをなぜ哲学的に研究したいのかと言われても、はっきりと理由が言えるわけではありません。ただ言えることは、編入学を志したきっかけとして、私がこのままの未熟な状態では社会には出れないと感じました。今までの私は、言われるがままに流されて生きてきました。だからこそ、自分に意見があったとしても根拠を考えることができず、説得力のない意見しか述べれませんでした。だからこそ自分を好きになるために自分を形成したい。物事の根本を考えた根のある意見を述べられるよう、哲学を勉強したいと考えました。私の入りたい大学に編入した先輩の多くがカントを選んでいたため、私もカントから研究をしていきました。善く生きるとは何かについてカントも考えています。カントの平和論について、人はそもそも邪悪で放っておけば戦争をしてしまうという意見にとても共感しました。戦争だけではない、他のことにも置き換えて考えることができると考えたからです。平和について真の平和を考えていくのであれば、人間は邪悪ではあるが理性を持っているために、道徳について考えることができる。道徳があって真の平和に導き出せると思います。編入後はカントの考える道徳について、原文から解釈することで理解していくとともに、カントが生きていた時代の近代の近代哲学史を研究したいと考えています。近代史を研究する理由として、カントが平和について考える契機は歴との関係、ロマン主義、戦争が関係していると考えました。カントの考えを深く理解、総括的に理解するために、近代史の研究もして生きたいと考えました。しかし、幸福について、他の哲学者、例えばラッセルも考えていました。カントに絞った理由、根拠は何かと言われたら先輩がとなってしまいます。私の考えが浅はかなことは承知です。でもどういう考え方、カントを選ぶ根拠を考えれば考えるほどわからなくなってしまいまhした。どうかアドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
 
 

宗教のじかん

 投稿者:沖島いちろう  投稿日:2018年 8月25日(土)15時16分16秒
  で教えを聞いて努力は正しいかいのりもする  

ゆるしの秘跡

 投稿者:sacra 桜  投稿日:2018年 3月 8日(木)01時04分48秒
  ご返事ありがとうございます。

通常行い難い調査をまとめた稀な論文でしょうか。
でもここでいう「善きカトリック信者」というのは、論文を離れればむしろアブない域に入るところもあるのでは。

共感してしまうは、
>>> 小さい頃は良かった。 [...] でも(大人になった)今はね。 <<<
>>> イヤだから告解に行かない <<<
という胸中が述べられているところでした。
このあたりを追求すると卑近な事柄からやがて形而上の内省にまでいたるから、だから「ゆるしの秘跡」の意味があるのかと。
絶対的に赦されていることを最高の恵みとして受けとめる、それなのに、いやそれだからこそ。と、このあたりに「ゆるしの秘跡」の奇跡が存在するのかもしれないと、ごく普通の信者にとっても。。。そして多分ここでは告解司祭さんと信者とキリストさまの三者で小さな奇跡が実現されるのかなあと。(聖職者の方々も様々な悩みをかかえていらっしゃると思います。ご自身の告解義務の頻度も高いでしょうし。ただ、信者の前にそれをみせる必要は普通ならばないほうがいいと考えます。)

数回にわたって よいご意見とご教示をいただきました。心からお礼申し上げます。先生のご助言のおかげで、からまっていた糸玉がほぐれたような気がします。四旬節後半ですが、さわやかな気持ちで過ごしたいと思います。どうもありがとうございました。

どうぞ、よい四旬節を。
 

sacra 桜さまへ

 投稿者:sekko  投稿日:2018年 3月 7日(水)19時19分7秒
  京大の論文、さっそく読みました。

告解が司祭対平信徒とあるのが少し気になりました。司祭も告解をするのですから、マルタのようなコミュニティで司祭同士が告解している内容の方に好奇心があります。それとも内輪同士ではなんだから別の教区から告解司祭にきてもらっているのかしら。

私も一度はフィールドワークを考えて、同じ罪を告解したらだれがどうこたえるのかを比較しようかともしましたが、やはり、向こうに一方的に秘守義務があるのではフェアでないので、もっぱら質問ばかりしています。フランス人司祭は話好きだし考えを言語化するのがうまいですから充実しています。

日本のことはよく知らないのです。しかもマイノリティ独特のメンタリティに同調圧力も加わって、フランス頭で関わると??なことばかりです。

なかよしの宣教師さんや神父さんとは話がはずみますが、突き抜けて自由なのはシスターたちだなあといつも思っています。

密室のフィールドワークというのはもうずっと、霊能者とか占い師を対象に日本でもフランスでもやっていますが、日本ではあまり質問すると嫌がられます。自分は自分の話をするためにいるんじゃない、と言って。
私は時間をお金で買っているのだから取材であることも隠さないのですが。
でも、本当に霊感のありそうな人?からは、「あなたは自分のこと何にも考えていませんね」と見抜かれます。

私は告解司祭とか、占い師とか、心理療法士とか、「罪の精査や来し方行く末など自分のことばかり考えてやってくる人々」と一対一である程度の責任をもって対応する人たちが、相手との「関係性」をどう捕らえているのかに興味があるのです。

だから、聖霊が働くかどうかとは別に人間性の豊かでない相手だとがっかりします。

「和解」についても、個人的にはほとんど気になりません。

私にとって、和解というのはある程度対等な関係にあるからこそ対立している相手との間に赦したり譲ったり赦されたり譲られたりして構築していくもので、「神」とか「教会」など自分より大きいものとの関係ではないからだと思います。

神も教会も一方的に赦しいつくしんでくれるという信頼があり過ぎるのかもしれませんが。
向こうからも信頼されているという気もするのでそれに応えたいです。

論文にあった「善きカトリック信者」の言葉ではないので、聞き流してください。

http://www.setukotakeshita.com/

 

ゆるしの秘跡

 投稿者:sacra 桜  投稿日:2018年 3月 7日(水)08時02分23秒
  ご教示くださりありがとうございます。

質問に至った理由のひとつに、この四旬節に上映の「ラパリシオン」(2月26日の紹介記事ありがとうございます)と「ラ プリエール」によせてふと思ったことがありました。両作品の制作は確かに誠実です。ただ、そのあとのこと、その先で学ばなければならない事柄についても触れ得る作品を今後は期待したいのです。神秘を感じること、回心の方向に導かれてゆくこと、愛の存在に気づくこと、でも実人生ではそこから先を生きてゆくのでは? そこで「再教育」というか、むしろ「生涯教育」というかたちのコミットメントのことがでてくるのではないかと。そして救済のコンテクストがカトリックであれば、生涯にわたって年一度は「ゆるしの秘跡」を受ける義務があり、程度の差こそあれ真摯に取り組むことになります。

仰るとおりです。フランスの地方都市ですが、通っています教区教会のごミサに与る方々を拝見しても、68年世代の方にはそういうケースが少なくないのではと思います。リタイアされた後はいろいろ考えたりする時間がとれることも、さらに離婚や病気・介護などのファクターが加わる時には尚の事。またその子供や孫の世代の人達に、カトリックに新たに入信されるケースも多いようです。そして新たに獲得された熱心さを継続するためにも教育の継続が必要であり、そこに「ゆるしの秘跡」の理解の大事さがあると。

「和解」というターム。神さまとの和解、教会との和解。その意義は頭では理解できるのですが。アルフレッド・ロワジーの ? Jésus annonçait le royaume, et c’est l’Église qui est venue ? がよぎるわけではありませんが、後者のほうが前者より難しいと思ってしまうところに私は自分の弱さをみてしまいます。

アルジャントゥーユのレポートでは、これは司祭さまとの秘跡というよりおしゃべり枠の対話だったと思っていました。ところで告解はこちらで仏語でなさる方を好まれますか?

既にご存じかもしれませんが、京都大学リポジトリに告解を対象にフィールドワーク調査を試みた珍しい論文があったので、題名とURLを :
? 主体化をめぐる複数の回路とトランスカルチュレイション : マルタにおける告解の事例から ?
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/177240

ご返答くださり本当にありがとうございました。

 

sacra 桜 さま

 投稿者:sekko  投稿日:2018年 3月 6日(火)19時18分42秒
  なるほど、そういうことだったのですね。

フランスにお住いなのだと思いますが、そして、ゆるしの秘跡が核心ということも共感しますが、私の感じるのは、カトリックにはゆるしの秘跡が核心、キリスト教には「赦し」が核心ということかもしれません。ゆるしの秘跡を受ける以前に自分が多くのこと、多くの人に対する「赦し」を全然できていないと思うので。

フランスの司祭さんの話は、https://spinou.exblog.jp/25470580/ に書きました。

その前にも https://spinou.exblog.jp/25452617/ にも書いています。

この19区の司祭は、聖体を授ける時も、告解の時も、わくわく楽しそうで、人間と神さまが大好きって感じでいいですね。司祭と差し出ゆっくりお話をするのにわざわざ約束をとったりするのは敷居が高いですが、告解の時にいろいろお話できるのは気に入っています。

去年は日本で東京カテドラルの枝の主日のミサに出たので、ミサの前に告解したのですが、うーん、ブログには書きませんでした。メンタリティが違い過ぎて。

フランスの私と同世代か少し上の人は、1970年以前にカテキズムを受けた人ばかりで、この人たちは、まさに、68年で教会からも信仰からも離れた後で、リタイアしてからすごく積極的にいろんなカトリックの講座に参加している人が多いです。パリではプロテスタントの講座もカトリックの人が結構います。
この世代の人は、告解というと、罪悪感、許してもらわないと地獄に堕ちるよ的な上から目線メンタリティの司祭を前にしてトラウマになった人がけっこういるのですが、私が「祝福だけしてもらったら?」とかいうと、結局半世紀ぶりに免償してもらってすっきりしたりしているようです。

パリのアンスティテュ・カトリックで神学部長を2011年から二期6年つとめたドミニコ会のチィエリー=マリー・クロー師は、私が2011年に東日本大震災のチャリティコンサートを開いた時にも来てくれたすてきな人ですが、仏教の講座を持っていて、最初に知り合ったのもヴァンセンヌのパゴダでした。彼から神学部のカリキュラムをもらっていたので周りのリタイア組に配りました。

sacra桜さまのおかげで、今年もちゃんと復活祭しなくちゃ、とスケジュール立てはじめました。ありがとうございました。

http://www.setukotakeshita.com/

 

ゆるしの秘跡

 投稿者:sacra 桜  投稿日:2018年 3月 6日(火)09時26分17秒
  ご返答くださりありがとうございます。
質問をした背景はまず、ゆるしの秘跡が現代のカトリックを生きる上で核心となっていると考えるところがあり、この視点から見えてくるものを探しているからでした。

リンクをつけてくださいましたご記事は掲載時に読んでいました。ブログ記事のおかげでこの二作の感動的な映画を知ることができて有難いと思いました。東京のニコライ堂の記事もおもしろく読みました。「マックス・ジャコブの回心」の一連の記事は圧巻です。たしかに私達が生きている時代の少し前にはすごい人々が沢山おられて、遺してくれた書物や作品等は そこから大きな刺激を得られる資料でもあります。先生がご著書や論文を通していろいろ教えてくださることに感謝しています。また、自分でも少し調べてみたい破門の危機を通過された聖書神学者のことなどもありますが、いずれまた質問したく思います。

今回のことは、もっとごく普通の市井の信者の場合のゆるしの秘跡を巡る思考についてことでした。とりたてていうような劇的な回心があったわけでもなく、大抵は温厚で協調性のある、神学に特に深入りする必要は感じられないけれども、それなりにそこそこ教養もあるタイプの一般信者の場合です。もう少し質問をふくらませるか、具体化させることができるか、考えてみます。

それにしても、先生のお尋ねになられたことも神父さまのお答えもどちらもすごいです。そしてそのことをストレートに書いてくださったことも。どうもありがとうございます。

あと、「再教育」という語で表したかったのは、パリの或いは地方の大都市のカトリック学院などで随時開催されている一般にも開かれているセミナー、半日から一日または泊り込みの黙想会や研修会、都市内にある修道院(托鉢修道会等)で定期的に行われている講義など、結構活発なことをご存知だと思います。

また少し日をおいて質問いたしたく、重ねてありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:ヴィオラ  投稿日:2018年 1月19日(金)05時42分44秒
  お返事、ありがとうございます。

フィンランドは宗教に関してはアナクロのようですが、政治に関しては民主主義や人権、法の支配の原則などはしっかりしていると思います。
ソマリ出身の国会議員は少なくとも数人いて、アフガニスタン出身の国会議員(女性)もいました。市民権はなくても、永住権があれば地方議会の選挙権・被選挙権があるので、地方のレベルではもっと色々です。学問も出身国による差別というのは、ほぼないだろうと思います。

移民受け入れは、スウェーデンに比べればずっと少ないです。でも、今後人口減少が進めば、増やしていくでしょうね。まあ、スウェーデンは北の植民地帝国だったし、巨富の蓄積があるお金持ち国です。

金髪碧眼の中で、違いが目立つということはありますね。アフリカ系で、道を歩いていて「国に帰れ」とか言われ、嫌な思いをしている人達はいると思います 。でも、最近は減少しているらしいのですが、アフリカ、アジアなどからの養子も普通にあります。今はどこもそうなのでしょうが、極右の政治家はいるし、ネオナチのようなグループもあります。2015 年の「難民危機」では、受け入れ反対と賛成が拮抗していた感じです。賛成論は、困っている人達は助けようというキリスト教的な主張でした。

私は、幸か不幸か人種差別はほぼ感じたことがないのです。日本人に対しては好意的というのは、あると思います。まあ、そういうのもちょっと問題で、だから日本人で良かったとかは全然思いませんが。

少し前の竹下さんのブログで、お葬式に行く前、バッハの無伴奏5番サラバンドを弾いたとあるのを見て、もう10年以上も前のことですが、父のお葬式から帰ってヘンデルの組曲11番のサラバンドを弾いていたことを思い出しました。父とは親しくはなかったのですが、胸がとても苦しくて、なぜかあの曲を弾かなくてはならない気持ちでした。弾きながら泣きました。竹下さんは、ギターを弾かれるんですよね。私はピアノです。

竹下さんのブログ、これからも読んでいきたいと思います。また、何か質問させていただくかもしれません。その時は、どうぞよろしく!
 

ヴィオラさま

 投稿者:sekko  投稿日:2018年 1月18日(木)06時55分5秒
  フィンランドでしたか。議会も大学も国教のストラクチャーを共有しているのですね。

そんなところで、たとえばムスリムが政治や学問の第一線に加わるのは微妙でしょうね。
スウェーデンなどと違って移民の受け入れも少ないような。

私は北欧のような金髪碧眼っぽい国でアラブ系の人や黒人とか目立ち過ぎるのにどうやって混ざっていけるのだろう、ゲットー化しない方が難しいのでは、と不思議です。フランスは特にパリや大都市は人種の混交が多いので、何人でも目立たないですが。

アジア人に対してはどうですか? 人種差別とか文化差別を感じますか?

私の甥(英仏ハーフ)が、2年前タイのダイビングクラブで知り合ったインストラクターの女性がフィンランド人でした。彼女は今甥の息子をフィンランドで育てています。甥はフランスに来るように言っているのですが、フィンランドではシングルで子育てをするのは簡単なのだそうです。

ああ、騎士団の話でしたね、

フリーメイスンと同様、玉石混交というか、19世紀に、過去のもの、修道士の騎士団、十字軍由来や14世紀の騎士団の名を使って民間で再興したものがたくさんあります。

軍事と宗教がセットになって互いを正当化してきたような歴史は事実ですが、例えばフランスの騎士団とおっしゃっているのはレジオンドヌールですか?

その手のものは要するに個人の業績に国が権威付けをするもので、ある意味持ちつ持たれつというか…。フランスでは最近サウジアラビアのプリンスにも勲章を授けたりしたということが批判されていましたが、完全に政治的、外交的なものですね。

この手の「騎士団」の特徴は、フリーメイスンと同じく内部にヒエラルキー、位階がはっきりと分かれていることです。中世の騎士団には内部の位階はありませんでした。

神殿騎士団のことはずっと調べているのでいつかは書こうと思っていますが、オカルトや陰謀説をインスパイアするようなのでなかなか切り口が難しいですね。

今は知りませんが、少なくとも20 世紀の例では、フランスの国家勲章って、くれるという通知は来るのですが、事前に勲章を用意して購入するのは本人なんですよ。もらえるものだと思って手ぶらで行ったらもらえなかったので、持っている人に借りた、という例もあります。つけてもらえるという儀式が重要なんですね。アンチックショップでもいくらでも売ってますし。

ただし、国家勲章をもらった人の娘や孫娘だけが入れる中高一貫校があって、制服もある全寮制というフランスらしくない場所なのですが、これも、女性限定というのも含めてなんだかなあ、と思います。フィンランドもそうですが、「共和国」っていっても、「?」なものはいくらでも残っていますね。


http://www.setukotakeshita.com/

 

ありがとうございます

 投稿者:ヴィオラ  投稿日:2018年 1月18日(木)03時53分1秒
  早速のお返事、ありがとうございます!
フィンランド在住です。最近、少し寒くなってきました。

北欧系プロテスタントは、アナクロな感じなのですね。面白いです。政教分離していないというのも同感です。フィンランドでは大統領以下、大聖堂でミサに出て、その年の議会が始まるし。教区に所属していると、教会税あります。教会から抜ければ、払う必要はありませんが。政治と宗教のみならず、大学と宗教も繋がっています。秋の新学期始まりには、学長などが大聖堂のミサに出ます。あと数年に1度、博士号取得者が正装して大聖堂に行進、ミサに出た後、舞踏会という慣習もあります。

北欧の人は、自分たちは世俗化していて近代的、イスラムやその他が宗教的と大体思っているのですが、実は様々な面でキリスト教は深く浸透していると思います。自分の人生を語る時も、特に女性は 犠牲・苦難を経てより大きな意味づけへというような、イエス・キリストの人生を下敷きにしたような語りをよく耳にします。

ただフィンランド人は、すごく自然が好きなのですが、その「自然」という考えには、どこか「キリスト教以前」とか「異教」というニュアンスがあり、キリスト教的ではないものに対する憧憬があると思います。

竹下さんは、フリーメーソンに興味をお持ちですよね。少し違うのですが、私は騎士団(と修道院)に興味があります。騎士団は、その名前もやや奇妙なものが多いのですが(靴の紐、黄金の皮、クマの殺害者とか)、勲章には細部に渡って非常に細かい意味づけがされていて、フェティッシュです。騎士団は過去のものではなく、今も健在です。ヨーロッパでは国家元首かその任命する人物がグランドマスターで、フランス、フィンランド共に、それは大統領です。現在の騎士団は勲章と国旗によって、誇り、感謝、悲しみ、追悼、慰め等の感情を表現します。近代の国民国家は、その基底に軍事と宗教を持っているようなのですが、こうした制度が国民国家の重要なシンボルとして使われていることをどう思われますか。
 

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